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中日本航空の歩み

昭和28年

1953~

創立-よみがえる翼-

江南市で鉄工所を営んでいた青山利光氏が戦争を経験したパイロットたちの空にかける情熱に理解を示し、セスナ170B型を2機保有して、1953年5月に当社が誕生しました。

昭和35年

1960~

挑戦-資本強化と定期航空輸送-

地元大手の名古屋鉄道(株)と(株)中日新聞社による資本参加の申入れについて、当時定期輸送への進出を視野に入れていた青山利光社長が快諾。
1963年7月に全日本空輸(株)が運航していた路線を譲り受け、定期航空輸送を開始しました。その後もその翼を広げましたが、高度経済成長の象徴である高速道路網の建設や東海道新幹線の開通により、路線運営が困難となった定期運航部門は、1965年2月に短い歴史の幕を閉じました。しかしコミューター航空という呼称もなかった時代に当社はその先駆けを成しました。

昭和40年

1965~

広がる翼-事業多角化-

定期運航からの撤退後、航空機使用事業の強化と事業の多角的拡大に向かいました。飛行機での水産庁の漁業パトロールやヘリコプターでの電力物輸、報道取材のほか、工場整備事業、調査測量事業など現在の当社を支える事業が本格化しました。
中でも当社にとって新生面を開いたのが、国内で初めての国産赤外線スキャナーを用いた火力発電所の温排水分布調査など、大きな成果を上げた調査測量事業の躍進でした。

昭和55年

1980~

未来を拓く-新時代の先駆け-

航空機による新規事業開拓を目指しEMS(Emergency Medical Service)の可能性に着目。1984年には、国内初となる民間の救急患者搬送業務を開始し、現在全国で活躍するドクターヘリの前身となりました。
調査測量事業では、コンピュータ技術の発展を踏まえ、当時最新の機材が数々導入され、測量作業も大きく変化しました。

平成7年

1995~

空の可能性-危機管理時代への対応-

1995年1月に発生した阪神淡路大震災をきっかけに、緊急災害時におけるヘリコプターの有効性が広く認知され、各県で防災ヘリコプターを導入する動きが活性化しました。弊社でも各地で防災ヘリコプターの運航・整備業務を受託しました。

平成12年

2000~

信頼の証-認定事業場拡大-

1997年10月に施行された航空法の大改正を受けた新航空機検査制度に対応するため、本社事業場では「航空機整備改造認定」、「航空機整備検査認定」「装備品修理改造認定」を取得しました。その後2005年の八尾事業場の認定をはじめ、広島・東京・沖縄・栃木と確かな整備技術を発揮する認定事業場を拡大していきました。

平成27年

2015~

新たに-継承と成長-

2017

従来の近赤外レーザでは計測できなかった水面下の地形も計測できるグリーンレーザ計測装置を導入

2020

本社新整備場建設を機に、長年親しまれたロゴマークをリニューアル(新たなロゴマークには、今まで培ってきた経験や知識を継承し、広い分野で際限なく活躍する企業としての将来性が込められている)

2022

国内初 SAF(持続可能な航空燃料)を使用したヘリコプターフライト実施

カーボンニュートラルの調査対象として注目され始めているブルーカーボン(七尾湾)やマングローブ林(モーリシャス共和国)の調査手法検討に着手

2023

広大な空港敷地を短時間で点検する仕組みの構築を目指して、空港敷地内で群制御を用いたドローン飛行に国内で初めて成功

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